History of F1
F1の歴史
~1950年代~
初開催は1950年。初年度こそアルファロメオの圧勝だったが、翌年からフェラーリが台頭してくる様になり資金難も重なり撤退。1950年後半にはイギリスの独立コンストラクター達が台頭。コンストラクターズチャンピオン制度が出来たのもタイミング良く1958年であった為に初年度チャンピオンはイギリスのチームであるヴァンウォールだった。ドライバーでは1950年代で一番成功したのはアルゼンチンのファン・マヌエル・ファンジオ。通算24勝は1968年のジム・クラークに抜かれるまで最多勝を誇り、5度のワールドチャンピオンはミハエル・シューマッハに破られるまで実に50年近く破られなかった。
~1960年代~
マクラーレンやブラバムといったオーナー兼ドライバーが現れたのはこの頃。チャンピオンになったドライバーもジャック・ブラバムやグラハム・ヒル、ジム・クラークにジョン・サーティーズと早々たる面々である。
チームもロータスやブラバムといったイギリス勢とフェラーリをはじめとするイタリア勢がしのぎをけずっていた。さらに忘れてはいけないのはまだ発展途上であった東洋の孤島、日本からホンダが初参戦したのもこの時期。
さらにこの時期にやっと空力を考える様になりダウンフォースを稼ぐためのウィングが登場したり、それまで国ごとに決められていた車のカラーリングがスポンサーのカラーになったりとF1カーの外装が大きく変わりだしたのもこの時代である。
~1970年代~
俗に言う名門といわれる(言われてた)チームが台頭していたのが70年代の特徴。ちなみに70年代にコンストラクターズを取ったチーム名はロータス、ティレル、マクラーレン、フェラーリ。
エンジンもDFVエンジンを要するフォードの独占上から始まり、後半にはフェラーリが逆襲するといった構図。活躍したドライバーもジャッキー・スチュワート、エマーソン・フィッティバルディ、ニキ・ラウダ、ジェームス・ハントといった蒼々たる面々。
蛇足ながら1978年度のワールドチャンピオンにインディカーで活躍しているマルコ・アンドレッティのお爺ちゃんにあたるマリオ・アンドレッティの名前がある。1977年と1978年には日本で初めてのF1開催が富士で行なわれ、1978年には伝説のフェラーリドライバー、ジル・ヴィルヌーヴも走った。
~1980年代~
80年代に入るとDFVエンジンに変わりターボエンジンが全盛期を迎える。特にエンジンをコンストラクターに供給という形で復活したホンダエンジンが強く、圧巻は1988年のマクラーレン・ホンダが全16戦中15勝という他を圧倒する成績を収めた。車体面では1981年にカーボン製モノコックが現れ、以降の標準となっていった。
ドライバーも70年代に負けず劣らずのメンツが揃い、ワールドチャンピオンになったネルソン・ピケやニキ・ラウダ、シューマッハが現れるまでの最多勝ドライバーのアラン・プロストや日本でも大変人気があったアイルトン・セナなどのドライバーをはじめとして、70年代後半から82年の事故死まで記録より記憶に残る走りをしたジル・ヴィルヌーヴや無冠の帝王と言われたナイジェル・マンセル(1992年にチャンピオン獲得)等が走っていて、実に楽しい時代だった。
尚、1988年から中島悟選手が日本人として初めてF1にフル参戦、同年から三重県の鈴鹿で日本GPが行なわれ、日本におけるF1人気を確保したのも80年代の事であった。
~1990年代~
80年代中頃から圧倒的な強さを見せていたホンダエンジンが陰りをみせ、撤退。変わるようにウィリアムズとコンビを組んだルノーエンジンが強さを見せつける。1990年、1991年の2年こそマクラーレン・ホンダに乗るアイルトン・セナがチャンピオンになるも、翌年からはウィリアムズ・ルノーに乗ったドライバー、ナイジェル・マンセルにアラン・プロストとチャンピオンになる。そのマンセルもプロストも引退し、一人で今後のF1を牽引することを期待されたセナが1994年にウィリアムズのマシーンにセナが乗るもサンマリノで事故死をするという悲しむ事態がおこる。
セナなき後のF1を牽引する人物不足か、とも思われたがデビュー当初から才能の片鱗を垣間見せていたミハエル・シューマッハが才能を開花させ、マシンが優位なウィリアムズ・ルノーのデイモン・ヒルやジャック・ヴィルヌーヴ、マクラーレンのミカ・ハッキネン等とチャンピオン争いをみせ、F1ファンを喜ばせた。
~2000年代~ 2000年代前半はフェラーリに移籍したミハイル・シューマッハが低迷していたフェラーリを建て直し、圧倒的な強さを見せた時代。しかし2005年に突如フェラーリが不調に陥り、チームではルノーやマクラーレン、ドライバーではアロンソ、ライコネンといった若手が活躍し始める。2006年シーズンを持ってセナ無き後のF1を支え続けたシューマッハが引退、2007年はフェラーリ所属のライコネン、2008年はマクラーレンのハミルトン、2009年はホンダ撤退後、チームを引き継いだブラウンGPのバトンと混戦状態になりながら2010年度へ突入した。