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History of Japan F1

日本のF1の歴史

~1970年代~
開催は1976年富士スピードウェイで行なわれたF1・世界選手権・イン・ジャパン。雨の中、危険な状態で行なわれたレースで有ったが、ジェームス・ハントの初ワールドチャンピオン獲得やチームではマキやコジマ、ドライバーでは高原敬武、星野一義、長谷見昌弘などの日本勢がスポット参戦して活躍し、なかなか見ごたえのあるレースだった。
1977年にも同じく富士スピードウェイで開催されるも、1コーナー先でコントロールを失ったフェラーリのジル・ヴィルヌーヴが立ち入り禁止区域にいた観客を含む2名を巻き込む死亡事故を起こし、それを大きな原因として2年で開催権を返上する。

~1980年代~ 再び日本にF1カーが上陸してくるのは10年後の1987年。ホンダエンジンの活躍や同年から日本人として初のフル参戦ドライバー中島悟選手が誕生などを要因としてF1ブームが起こる。

~1990年代~
バブル景気にも乗り日本企業のF1チーム買収やエンジンの供給、さらには1994年と95年には鈴鹿だけではなく、TIサーキット栄田(現岡山国際サーキット)でもパシフィックGPの名で開催されるなどしたが、バブル崩壊や日本で人気があったアイルトン・セナの事故死等がありブームも終息に向かう。

~2000年代~
2000年よりホンダのエンジン再供給、2002年にトヨタがフルワークス体制でF1参戦、さらには2006年にはホンダがフルワークスとして参戦、同年のハンガリーGPで優勝、37年ぶり3度目の日本のチームの勝利をかざり、再びブームの兆しが見える。
2007年には30年ぶりに富士スピードウェイで開催。しかしながら富士スピードウェイ内の道路陥没を大きな原因としたバス輸送の不手際等が目立ち、観客には優しくない開催となった。2008年度の開催はお金よりもメンツを重視した感じで一応成功させるが同年で富士での開催中止。2009年以降は再び鈴鹿サーキットでの開催となった。

・初の中継 日本で初めてF1グランプリを全戦中継したのは『カーグラフィックTV』でのダイジェスト版放送。F1放映権は1986年まではTBSが保持していたが、全戦中継することはなく月1回程度のダイジェスト番組が放送されるのみであった。1987年から日本GPが再開されるのと中嶋悟が日本人初のF1シーズンフル参戦をすることになったことをきっかけに、フジテレビが日本GP分の放映権を取得しようとしたところ、
FIAの方針によって全戦分の放映権を取得することになった。以来全戦中継を行っている日本GPはゴールデンタイムで放送され、1991年の視聴率は20%を超えており、深夜帯の放送でも10%近い視聴率を獲得していた。
しかし、1990年代以降F1ブームそのものが下火になり、一時期ほどの視聴率は獲得できていない。

・日本グランプリ
日本では秋(例年10月)に「日本グランプリ」が行われている。1987年から20年以上三重県の鈴鹿サーキットで行われている。また、ホンダ・トヨタといったメーカーも参戦した。バブル期には沢山の日本のスポンサーが資金を投じ宣伝塔として利用し、潤沢な資金をもとにチームを買収する日本のメーカーもあったが、バブル以後は技術的サポートを伴うスポンサードを行うことが多くなっている。06年には元ドライバーの鈴木亜久里が*「スーパーアグリ」という全くの新チーム立ち上げた。純国産チームという史上初とも言える試みに注目が集まったが、2年半を待たずに資金難に陥り撤退。ホンダ、トヨタも金融危機以降本社の経営難から撤退してしまった。

*スーパーアグリ
発足当初は主要構成要素である車体製造者・エンジン製造者・タイヤ供給者・レギュラードライバーの全てが日本国籍であった。
2007年よりレギュラードライバーにイギリス人のアンソニー・デビッドソンを起用している。参戦2年目となる2007年第4戦スペインGPで佐藤琢磨が念願の初ポイント(8位・1ポイント)を獲得、さらに第6戦カナダGPでも2005年・2006年シーズン王者のフェルナンド・アロンソをオーバーテイクし、ポイントを獲得(6位・3ポイント)するなどの活躍を見せ、逆に低迷を続けるホンダF1をコンストラクターズポイントで一時上回るなど、飛躍的によい成果を挙げており、注目が集まっていた。しかし、初の大型スポンサーとして獲得した中華人民共和国の香港に本拠地を置く石油貿易企業「SS UNITED GROUP」が、スポンサー料金を支払われなかったことなどを受けたチーム設立当初からの財政問題が解決することはなく、2008年第5戦トルコGPを前にした2008年5月6日、鈴木亜久里代表一人で東京のホテルにて記者会見、F1からの撤退が発表された。

・日本人ドライバー
非選手権レースながら1974年にスポット参戦した高原敬武選手が日本人初F1ドライバー。 選手権では1975年に鮒子田寛(ふしだひろし)が初挑戦(オランダGP、予選不通化で決勝は出走出来ず)次いで76年、77年には富士で行われたF1・イン・ジャパンには長谷見昌弘、星野一義、高原敬武、高橋国光、桑島正美がスポット参戦した。 1987年から(レギュラードライバーとして)9人が参戦。89年には中嶋悟が雨のオーストラリアGPで日本人唯一のファステストラップを記録。
90年の日本GPでは鈴木亜久里が日本人初表彰台を記録している。しかし、それ以後は下位チームからの参戦が続き、成績が残せないまま99年を最後に2シーズンの間日本人ドライバー不在の時代となる。
沈黙を破って2002年シーズンにはイギリスF3でチャンピオンになった佐藤琢磨がデビュー。 2004年は日本人として初
めてフロントロウを獲得、3位表彰台にも上がるなど、ランキング8位の大活躍を見せた。 05年は1ポイントと振るわなかったものの、06年は純日本チームスーパーアグリに移籍、 07年には資金難のチームながらトップチームと渡り合う活躍を見せる場面もあったが、08年のチーム撤退とともにシートを失った。
スーパーアグリからは井出有治、山本左近もデビュー。初参戦チームという苦しい状況の中でのデビューとなり、ポイントは獲得できなかったが、山本は07年もシーズン途中からスパイカー(現フォースインディア)より参戦した。また、トヨタは新人育成を行っており、参戦中には中嶋悟の息子、中嶋一貴がトヨタの支援を得てウイリアムズから参戦した。
09年シーズン末にはトヨタから育成下の小林可夢偉が代役として参戦、チーム撤退後もその活躍が他チームの目に留まりザウバーからフル参戦を決めた。

レーシングドライバーと還暦祝い
世界で活躍するドライバー達もいつかはやってくる還暦。そんな還暦祝にピッタリなお酒があります。まず還暦とは一体どんなものなのか理解を深めていきましょう。

『還暦』とは?

還暦とは、干支が一巡し、起算点となった年の干支にふたたび戻ること。通常は人間の年齢について言い、 数え年61歳を指す。60年で干支が一回りして、生まれた年のえとに戻ることから、”還暦”というようになりました。 別名本卦還り(ほんけがえり)ともいうそうです。

還暦を祝う習慣が日本で始まったのは飛鳥時代とも奈良時代とも言われ、当時の中国の地から伝わったとされています。当時、日本は遣隋使や遣唐使を送り、大陸のさまざまな文化を取り入れていました。その中に、還暦と大きく関係する「干支」や、還暦を祝う習慣もあったのではないかと考えられています。

還暦のお祝いには昔から「還暦には赤いちゃんちゃんこ」という習慣があります。これは、暦が一巡りして最初に戻る=赤ん坊に戻るという意味合いがあります。同時に赤は、神社の鳥居などを見てもわかるように「魔除けの色」。新しい人生を災いなく過ごし、もっともっと長生きしてほしいという願いが、この赤い色に込められてきました。しかし、さすがに長寿社会の今となっては、これらに抵抗のある方もいらっしゃるようです。しかし、だからといって赤い色にこだわる気持まで忘れる必要はありません。 赤色は情熱の色、積極性や行動的な心を起させる色という考えもあります。そのため、最近では赤いスカーフや赤いブラウス、シャツ、バッグや小物の赤など、現代に合ったかたちの赤色のプレゼントを選ぶ傾向があります。ルビーに代表される赤い貴金属や、「赤」の付く地名のところへの旅行などを選ぶ方もおられます。もちろん、赤色にこだわらないこともお祝いのかたちの一つです。

『数え年』とは?

数え年とは年齢や年数の数え方の一つ。生まれた時点、基点となる最初の年を「1歳」、「1年」とし、以降元日(1月1日)を迎えるごとにそれぞれ1歳、1年ずつ加えます。還暦は本来数え年で考えられてきましたが、現在では、数え年に代わって満年齢を用いることが多くなっため、数え年61歳に代わって満60歳を還暦とする考え方が一般的になっているようです。

『古希』とは?

古代中国の習慣が日本にも伝わり、還暦後10年目の70歳を祝う習慣は残りました。 実際に「70歳=古希祝い」とされたのは、室町時代の頃ではないかとされています。 「古希」の「古」は、古来の「古」、「希」は「まれ」と読み、めったにはない珍しいことの意。 つまり「古希」とは、「珍しいほどの長生き」ということです。 これは、古の中国の詩人・杜甫の「曲 江」という漢詩の中の一節『人 生 七 十 古 來 稀』に基づいています。 しかし、この言い回しははるか昔からあったという説も…。現に、古代中国に生きた思想家・孔子の言葉を表した「論語」の中に『人、齢(よわい)七十、これ稀(まれ)なり』という記述があります。

還暦のお祝いでは「赤色」がキーワードですが、古希では、「紫色」がキーワードとなります。 実は紫色は、古くから特別な意味を持つ色と考えられており、貴族の冠位は紫色が最上位の地位を表す色でしし、僧侶でも紫の衣を身につけることができるのは最高位の僧侶に限られていたほどです。こうした考え方から、紫は気品や風格を備えた色として尊ばれるようになっていきました。また紫色は、心と体のいやし効果がある色。こういったことから、古希のお祝いには、長寿への敬意といたわりの心が込められた紫色をキーワードにお祝いを贈るのが習慣になっているようです。

雑学「還暦振る舞い」

長寿祝いの中でも、年齢が若いだけに慣習としての誕生も早い還暦祝い。 日本全国に目を向ければさまざまなお祝いのかたちがあります。「祝い」と呼ばずに「振る舞い」を付けて 「還暦振る舞い」と呼ぶのも、そうした地方色豊かな長寿祝いのかたちです。

しかも、この還暦振る舞いは、全国各地に散見できます。では、なぜ「祝い」ではなく、「振る舞い」なのでしょう。 これは、60歳という年齢に対する考え方に理由があります。古くから60歳を特別な年齢ととらえる習慣があるのですが、 それは「厄」という考え。「厄」と言えば「厄年」、男性の場合は数え年42歳、女性の場合は数え年33歳…確かに、 こちらのほうがよく話題にされます。しかし、実のところ人生には数回の厄年があり、 その中でも大厄とされるのが42歳と33歳というのが正解。そして、男性にとっては60歳もまた「厄年」なのです。 もっとも、厄年の正しい考え方すれば数え年の60歳が厄年ならば、満年齢は59歳では…?そうですね。疑問もごもっともです。 しかし、昔は長寿祝いもまた数え年で行うもの、すなわち還暦祝いもまた数え年の60歳で行っていたためにちゃんと一致するのです。 そして、この「厄年」の考え方から発生したのが還暦祝いの一つのかたち、すなわち「振る舞い」というわけです。

では、「祝い」と「振る舞い」では、どう違うか。まずは、その問題から考えましょう。 実のところ、この2つに明確な定義分けや分類分けがあるわけではありません。 ただ、「還暦祝い」の場合には、(長寿を祝ってもらう立場の)主役はお祝いを受け取るという受け身の立場であるイメージが強く、 実際にそうしたスタンスでお祝い会などが行われるのではないでしょうか。むしろ、それが普通のかたちで、 今時風の表現をすれば、主役に対する“サプライズ”も、こうした考えのもとで企画されたりするものでしょう。 これに対し、「振る舞い」はその多くの場合が“主役が周囲に働きかける”かたちで行われます。つまり、主役=主催者。 すなわち主役がお客に対して食事やお酒などを「振る舞」うわけです。では、なぜ、祝われる立場の主役がこうしたもてなしをするのでしょうか。

ここで「厄」の考え方が出てきます。もともと「厄年」の際には「厄祝い」「厄払い」と称し、 親類縁者やご近所の方々を招いての宴の催す習慣が昔からあります。これには、自分の「厄」を宴に参加した人々に 少しずつ持ち帰ってもらい、「厄年」の災いを軽減しようという発想があります。そして厄を引き受けてもらうお礼に 酒食やお土産を提供するわけです。この「厄祝い」「厄払い」を(男性の厄年の)60歳にも、厄年祝いとしての 「振る舞い」をしょうというのが「還暦振る舞い」というわけです。そのため、還暦振る舞いの場合は男性のみに 限定されてきた例が多く、現在でも男性に行事に限っている地域もあります。しかし、男女平等の考えから、 現在では性別を問わない「還暦祝い」として行う地域も増えてきているようです。

還暦のプレゼント

長寿のお祝いには『赤いちゃんちゃんこ』贈るという習慣は現代でもまだまだ残っています。 赤色は情熱の色、積極性や行動的な心を起させる色という考えもあるため、 赤いスカーフや赤いブラウス、シャツ、バッグや小物の赤など、 現代に合ったかたちの赤色のプレゼントを選ぶのも最近の傾向となっています。 また、長寿の『福』をご近所に配るという意味合いなのでしょうが、さまざまなものが長寿祝いの際にはご近所に配られます。 これは地方によってバリエーションがあり、指くらいに太さの竹を7寸(20cm程度)ほどの長さに切ったもの、火吹き竹、とかき棒、紅白の餅、手ぬぐい、茶袋、赤飯、物差し…なお、これらを配る理由は、地方によってはその謂れが伝えられている場合もあるようですが、どうやら歴史学的には、正しい理由は不明のようです。もっとも、大切なのは理屈よりも、お祝いをする気持ちですね。

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