History of Japan F1
日本人ドライバーの軌跡
●中嶋 悟(1987年~1991年)
1952年02月23日生まれ
出走:75回
優勝:0回(最高位:4位)
PP:0回(最高位:6位)
FL:1回:★日本人初
得点:16回(現在の得点制度なら51点)
タイトル:0回(1987年 シリーズ11位)
日本人初のフルタイムF1ドライバー。国内トップカテゴリーであった全日本F2選手権で1981年、1982年、1984年~1986年のタイトルを獲得し、1987年にロータスからF1デビュー。
デビュー戦は予選12位、決勝7位完走、デビュー2戦目で6位初入賞、入賞4回、完走10回 最高位4位 シリーズ11位 7点とデビューイヤーとしてはまずまずの好成績だった。その後、1990年にティレルへ移籍し、その翌年に現役を引退した。F1には74回出走し、最高位は4位(2回)。参戦した全てのシーズン(1987年-1991年)でポイントを獲得している。
引退後は鈴鹿サーキット・レーシングスクール(SRS)の校長に就任し、佐藤琢磨、松浦孝亮、金石年弘などを指導。1997年にはティレルのスポーティグ・ディレクターも務めた。現在は、フォーミュラニッポンなどでチームを率い、後進の育成を行っている。
●鈴木 亜久里(1988年~1995年)
1960年09月08日生まれ
出走:64回
優勝:0回(最高位:3位)★日本人初表彰台
PP:0回(最高位:6位)
FL:0回
得点:8点(現在の得点制度なら24点)
タイトル:0回(1990年 シリーズ10位)
日本人として二人目のF1フル参戦ドライバーで、ラルースチームより88年にF1デビュー。90年の日本GPでは強豪チームが軒並みリタイヤする乱戦の中、日本人初の3位表彰台を獲得した。ラルース、ザクスピード、フットワーク、ジョーダン、リジェと中堅チームを渡り歩き95年にF1を引退。97年からはARTA監督としてフォーミュラニッポンやGT選手権、IRLに参戦し後進の育成に尽力。そして05年末にはスーパーアグリF1チームを立ち上げ、06年よりチームオーナーとして夢のF1参戦を果たす。
●片山 右京(1992年~1997年)
1963年05月26日生まれ
出走:95回
優勝:0回(最高位:5位)
PP:0回(最高位:5位)
FL:0回
得点:5点(現在の得点制度なら19点)
タイトル:0回(1994年シリーズ17位)
日本人3人目のF1レギュラードライバー。恐いもの知らずの走りから「カミカゼ・ウキョウ」と呼ばれた。入賞回数3回。全日本F3000チャンピオンとしての実績が認められ、1992年ラルースチームからF1デビュー。翌1993年に、ヤマハエンジンを得たティレルに移籍した。ニューマシンが投入された1994年には開幕戦ブラジルGPで初入賞、第3戦サンマリノGP、第8戦イギリスGPでも入賞した。
マシンの開発がうまくいかずリタイアが続いた1995年、第13戦ポルトガルGPでスタート直後に大クラッシュ、次の第14戦ヨーロッパGPはドクターストップで欠場した。1996年もリタイアが多く低迷、最終戦日本GPもリタイアに終わった。1997年にはミナルディに移籍したが、マシンの性能が劣ることもあり戦果に繋がらず、このシーズンを最後にF1を引退した。その後、1998年からはトヨタよりル・マン24時間耐久レースにワークス参戦、レーサーとして活躍の他、ライフワークとして登山にも取り組んでいる。
●井上 隆智穂(1994年~1995年)
1963年09月05日生まれ
出走:18回
優勝:0回(決勝最高位:8位)
PP:0回(予選最高位:18位)
FL:0回
得点:0点
タイトル:0回
ユニマット社員との2足のわらじをはいた異色のレーサー。海外では「Taki Inoue」と呼称及び表記されることが多い。1993年まで全日本F3に参戦していた。1994年国際F3000に参戦、同1994年、日本GPにシムテックでスポット参戦し、リタイアに終わる。
1995年にアロウズ(フットワーク)入り。フル参戦し、5戦に完走するなどまずまずの成績だった。
しかし、モナコではペースカーに追突されマシンもろともひっくり返ったり、自身のマシンを消火しようとした時にペースカーにはねられたり、イタリアGPではヒルとシューマッハのクラッシュを演出などして事故が多いことでも有名。
●中野 信治(1997年~1998年)
1971年04月01日生まれ
出走:33回
優勝:0回(最高位:6位)
PP:0回(最高位:12位)
FL:0回
得点:2点(現在の得点制度なら14点)
タイトル:0回(1997年 シリーズ17位)
11歳の時、レーシングドライバーだった父の影響を受けカートを始める。1987年、16歳で 国際カートグランプリにおいて日本人初優勝・大会史上最年少優勝に輝く。その後フォーミュラカーにステップアップ。1997年には、日本人で5人目となる F1選手権フル参戦デビューを果たす。 2000年に活動の場をアメリカに広げ、 CART、IRL(インディカーシリーズ)と世界最高峰のカテゴリーで活躍。2005年には、世界三大レースである「F1モナコGP」・「インディ500」に続き、 「ルマン24時間耐久レース」に参戦。
日本人初、世界でも30人目となる世界三大レース全てに参戦という偉業を成し遂げる。実力・人気ともに日本が世界に誇る国際派ドライバーとして現在も世界の第一線で活躍中。
●高木 虎之介(1998年~1999年)
1974年02月12日生まれ
出走:32回(完走12回)
優勝:0回(最高位:7位)
PP:0回(最高位:13位)
FL:0回
得点:0点(現在のポイント制度なら3点)
タイトル:0回
父・政巳氏が全日本カートやツーリングカー選手権への出場経験を持つ元ドライバーだったこともあり、“一流の環境”で育まれる。1994年には全日本F3でシリーズ5位、翌年の全日本F3000選手権では優勝3回、シリーズ総合2位など周囲の目を見張らせる活躍を見せ、大躍進のきっかけを掴む。
中嶋 悟のバックアップにより1998年にF1デビューを果たし、2年間に渡って世界の頂点で戦ったが思うような結果を得られなかった。2000年、フォーミュラ・ニッポンに勝負の場を移すことを決断し、10戦8勝のシーズン最多勝記録でタイトルを獲得する大活躍を見せた。2001年は、トヨタ初の日本人CARTドライバーに抜擢され参戦している。
●佐藤 琢磨(2002年~2008年)
1977年01月28日生まれ
出走:90回(2002年~2008年)
優勝:0回(最高位:3位 日本人最高位タイ)
PP:0回(最高位:2位 日本人最高位)
FL:0回
得点:44点(日本人最多獲得ポイント)
表彰台:1回(2004年 アメリカGP 3位)
タイトル:0回(2004年 シリーズ8位が最高、2001年 イギリスF3チャンピオン)
佐藤琢磨のF1キャリアは2001年からスタート。1997年に鈴鹿レーシングスクールフォーミュラ(SRS-F)でのスカラシップ獲得後、イギリスに活動の拠点を移す。
2001年にはB・A・R Honda(現・Honda Racing F1 Team)のテストドライバーを務めながら、イギリスF3選手権で12勝を挙げてチャンピオンを獲得。その年はマカオGPを含む3つの国際レースでも優勝を果たし、翌2002年、ジョーダングランプリからF1参戦し、日本GPでは5位入賞。2003年のB・A・R Hondaチームのサードドライバーを経て、2004年にはB・A・R Hondaチームのレギュラードライバーに昇格。アメリカGPで日本人ドライバーとして14年ぶりに3位表彰台を獲得したのをはじめ、34ポイントを獲得する活躍を見せた。2006シーズンからスーパーアグリに移籍。2008年のスーパーアグリF1撤退でF1でのシートを失い、2010年から戦いの場をアメリカのインディカー・シリーズに移した。
●井手 有治(2006年)
1975年01月21日生まれ
出走:4回(2006年)
優勝:0回(決勝最高位:13位)
PP:0回(予選最高位:21位)
FL:0回
得点:0点
タイトル:0回
1999年にフォーミュラ・ドリームの初代チャンピオンを獲得。その後、全日本F3選手権およびフランスF3選手権でキャリアを重ね、2003年よりフォーミュラ・ニッポンへの参戦を開始。2005年はチャンピオンタイトル争いを繰り広げ、ランキング2位を獲得している。2006年はSUPER AGURI F1 TEAMからF1デビュー、第4戦まで参戦。
●山本 左近(2006~2007年)
1982年07月09日生まれ
出走:21回(2006年~)
優勝:0回(決勝最高位:12位)
PP:0回(予選最高位:19位)
FL:0回
得点:0点
タイトル:0回
史上最年少でF1にステップアップした日本人。2006年スーパーアグリのサードドライバーとして参戦。同チームからデビューを飾る。2007年にはスーパーアグリテストドライバー。
2008年にはルノーのテストドライバーに就任。2009年はGP2アジアシリーズに参戦。2010年4月、今季よりF1に参戦しているHRT(ヒスパニア・レーシング)とリザーブ&テストドライバーとして契約。
●中嶋 一貴(2007~2009年)
1985年01月11日生まれ
出走:36回(2007年~)
優勝:0回(決勝最高位:6位)
PP:0回(予選最高位:5位)
FL:0回
得点:9点
表彰台:0回
タイトル:0回(最高位:2008年 シリーズ15位)
日本人初のフルタイムF1ドライバー中嶋悟の息子として知られる。父、中嶋悟がホンダとの強い絆を持ち、F1引退後もホンダ系チームとして活動しているのに対して、息子、一貴はトヨタのTDP(トヨタ・ヤング・ドライバーズ・プログラム)の支援を受けている。
実際カートから4輪をはじめるにあたり、フォーミュラ・ドリーム(FD)とフォーミュラ・トヨタ(FT)という選択肢があったわけだが、中嶋一貴にはフォーミュラ・トヨタしか選択し得なかった。それは、父・悟がFDの校長を務め、スカラシップ選定の際に他のドライバーから色眼鏡で見られることを避けざるを得なかったからだという。
2年間の全日本F3を経て、2006年はユーロF3に挑戦。1勝をあげると共にランキング7位に入る。その適応力は高い評価を受け、トヨタのバックアップもあって、2007年にはウイリアムズF1チームのテストドライバーに抜擢されることとなった。
2007年、DAMSからGP2シリーズにフル参戦し、PP1回、最高位2位、シリーズランキング4位を記録。一方でウイリアムズF1でサードドライバーとしての経験を積み、引退したA.ブルツに変わって最終戦ブラジルGPでデビューを飾る。
予選は19位、決勝10位ではあったが、ファステストタイムで5位を記録するなど印象を残し、翌2008年のウイリアムズのレギュラードライバー昇格を果たした。
●小林 可夢偉(2009年~)
1986年09月13日生まれ
出走:21回
優勝:0回(決勝最高位:6位)
PP:0回(予選最高位:9位)
FL:0回
得点:(2010年以前)3点(2010年以後)32点 合計:35点
表彰台:0回
タイトル:0回(2009年 シリーズ18位、08~09 GP2アジアシリーズチャンピオン)
2005年の最終戦では大逆転でフォーミュラルノーのチャンピオンに輝き、2006年からユーロF3に参戦。優勝こそならなかったものの、2位1回、3位2回を記録してランキング8位を獲得。またルーキー賞も獲得した。2007年も引き続いてユーロF3に参戦。1勝を記録しシリーズランキング4位。2008年はトヨタF1チームのサードライバーとして指名を受け、またGP2へもフル参戦。GP2では日本人初の勝利を期待される。